『日本奥地紀行』での沙流川流域(解説)

イザベラ・バードが歩いた沙流川流域を読み取る!

「日本奥地紀行」で描かれているのは、バードの目を通してみた明治初期の北海道の自然とアイヌ民族の自然とのかかわりの様子です。現在の北海道の”道”では、かなりの”元々の自然の風景”がまだ残されており、バードの紀行から読み取ることができます。

●苫小牧から佐瑠太(富川)へ

苫小牧は、札幌へ向かう「札幌本道」と襟裳方面への分岐点の町。「この苫小牧で、道路と電線は内陸へ向かい札幌へ至る。馬の通る道は北東に向かう道だけである。」(※1:「」でくくられた文章は、『日本奥地紀行』、高梨健吉訳 平凡社2007年より引用。)「私は、札幌に至る”よく人の往来する道”から離れて嬉しかった。」この地点は、現在でも苫小牧市内に存在している。

これから向かう道の先を見て、「どこまで続くかわからないような、うねうねとした砂地の草原が続く」「どこまでも好むままに道を付けて進めるような草原である」、開放感に満ちた言葉である。

苫小牧から8マイルで湧別(現:勇払)に到着した。「ここは、荒れ果てた淋しさがこれ以上先にはあるまいと思われるような、地の果てといった感じがする」ところが、バードは意外にも「もう一度来たい」と思うほどこの寂しい地に魅せられた。

勇払から出てから、馬で快適な道を進み17マイルまで順調に来た。幅が広く深い川を歩いて渡り、次の川は船や歩いて渡った。やがて道は平地から高台に変わり、柏木の雑木林を通過し、「美しく静かな流れの前に出た」とある。この川はたぶん沙流川のことではないかと思われる。このころ、平取には佐瑠太村(現:日高町富川)から河岸段丘を通って上流に向かい、再び沙流川を渡らなければならなかった。沙流川下流域は、広域な湿地帯のため、平地通行は困難を要するものだったといわれている。バードもアイヌの船頭に平底船にのせてもらって川に渡るとある。だが、ここの川の名前を書き記していないのが、佐瑠太村に到着した。


 

●佐瑠太(富川)から目的地平取へ

佐瑠太村は、仙台地方の氏族がつくった開拓地で、ここから12マイル山奥にバードが目指すアイム住民の部落がある。ここでシーボルト(※2)に再開、平取アイヌ部落の首長(※3)ペンリウクを紹介され、彼からの滞在の許可の伝言を待って、バードは平取へ向かった。

(※2:通称「小シーボルト」。ドイツ、オーストリア・案がリー帝国の通訳。1878(明治11)年に平取を訪れ一週間滞在しアイヌ民族の生活ぶりや文化を調査。)
(※3:首長:「貝澤正『平村ペンリウク扇をしのぶ』(先駆者の集い)23号)より引用。


平取までは、「道は人の良く往来する道」とあるが、「森林は、暗くて非常に静かである。この細い道が縫うように中を通っているが、他にも猟師が獲物を求めて通る小路もある」けもの道のような道をたどってシリ川(現:沙流川支流)河口から通りがかった小舟で沙流川の対岸に渡った。現在この渡船場跡に、2009(平成21)年「紫雲古津川向大橋」が架けられ、そこに「イザベラ・バードが歩いた道」の解説板が設置されている。


旅の途中で見かけたアイヌ村の手入れが行き届いている様子に驚いている。そして旅の最大の目的地、アイヌの人々が多く暮らす平取アイヌ部落に到着し、義経神社近くのペンリウク宅に滞在し、アイヌの人々と数日間を過ごした。


「平取はこの地方のアイヌ部落の中で最大のものであり、非常に美しい場所にあって、森や山に囲まれている。村は高い大地に立っており、非常に曲がりくねった川がその麗を流れ、情報に森の茂った山があり、これほど淋しいところはないであろう。」


短期間の滞在にもかかわらず、愛撫の生活、慣習、宗教など精力的に調査し、当時のアイヌの生活を知る貴重な調査結果を残している。また、病人の看護のお礼にと、アイヌ以外足を踏み入れたことのない義経神社に外国人で初めて案内された。